知らぬ間に動機が置き換わるというお話

語学の話

かなり久しぶりの更新になってしまいました。この期間にいろいろと私の中で、語学について考えていたことがあります。

今回はそのことについて書いていきます。

何かを見失っていた私

ブログを更新していなかった期間も、私は語学の学習を続けていました。

なんだかんだもう10年以上は続けていますので、惰性だけでも学習は続けられるわけです。

ただなんというか、語学を初めて最初の数年のような楽しさやワクワク感は消えていました。正直なところ、モチベーションも下がり気味でした。

ある程度上達したからだと私は思ってきたのですが、どうやらそれは違ったみたいなのです。

見失ったきっかけ

この数か月、いろいろと考えてみました。

自分は本当に語学が好きなのか?やりたいのか?

なぜあまりワクワクしたりなどの前向きな感情が起きなくなったのか?

それで自分なりに考えた結果、どうやら仕事で外国語を使うようになったのが大きく影響していると気づきました。

自分の中に起きた変化

ある程度の語学の実力が付くと、仕事で使ってみたくなります。少なくとも私はそうでした。

それで実際に何種類かの仕事を経験しました。

そのことは、いい刺激になりましたし勉強になったこともたくさんあります。

短期的にはモチベーションも大きく上がりましたし、その期間は実力も確かに伸びました。

ただし、長期的には悪影響がありました。

仕事で使うようになると、学習効率や内容の実用性を求めがちになります。

仕事中にうまくできなかった部分を補うために、苦手部分の克服にも目が向きがちになります。

つまり学習の動機が、仕事内容が要求するものに応えようとすることに、置き換わってしまったということです。

そしてそれは現代の社会に蔓延する、合理性や生産性などの無機質な価値観に基づくものです。

さらに最初のころはそのことに自覚的なのですが、徐々にそれが内面化されて無自覚のものになっていきます。

内面化された動機は、様々な判断や行動に無意識的な影響を及ぼします。

すぐには役に立たなそうだけどおもしろそうな教材より、つまらないけどすぐに役に立ちそうな教材をなんとなく選ぶなどの行動などですね。

自覚できないだけで、多くの判断に影響が及んでいると私は思っています。

そのような無機質な動機と、義務的な判断や行動を続けるうちに、私の心は乾いてしまったのです。

復活の予感

そんなからくりに私はやっと気が付きました。

きちんと自覚することができれば、変えていくことは可能です。

この手の話は、知識として頭で知るだけだとあまり効果がないんですよね。本当に実感を伴って心で理解したときに、効果が出てきます。

私もこのことに気づいて実感を持って納得するまでに、長い時間がかかってしまいました。

今なら思い出せるのですが、語学を始めたばかりのころは余計なことは考えていなかったんですよね。そもそも私は「なんだか楽しそう!」という謎の動機で始めましたから。

新しいことを知るのが楽しくて、覚えた単語に実際の会話などで遭遇するのに興奮して、自分が話した言葉をネイティブが理解したことに感動したり。

そんなちょっとしたことの積み重ねを味わうことが、自分の心を潤してきたんだなと改めて思いました。

仕事のためだけの学習だと、そういう感性はどんどん麻痺していきますからね。現代の仕事は分業が進んで、求められるのは心のない歯車みたいな感じになりがちですから。

というわけで今後は心で味わうような感じで学習をやっていこうと思います。このブログも少し方向性を変えて、有機的な感じの内容をメインにしてやっていこうと思います。

ここまで読んでくれた方にうまく伝わったかどうかは自信がないのですが、少しでも参考になれば嬉しいです。

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